2009/04/24

090422 山下亮輔Talk and Live「1両目の生存者」~JR福知山線脱線事故から4年~

がっきーです。いろいろあってずいぶん遅くなりましたが、先日OB信川さんが告知してくださった講演会に行ってまいりましたので報告です。



場所は同志社・今出川キャンパス。初めて来ましたがお向かいに京都御所があり、それにあわせてかお寺の入口のような門構えで、僕の好きそうな感じのキャンパスでした。キャンパス内も昼休みにも関わらず、心なしか落ち着いた雰囲気で、少々緊張気味でキャンパスを散策。



さて本題ですが、今回は4年前に起きたJR福知山線脱線事故で1両目から救出された近畿大学4年生(事故当時1年生)の山下亮輔君が、事故当時の状況や、10か月に渡る過酷な入院生活、退院後の活動について語ってくれました。去年のWSで彼を初めて見て以来、学校でもたまに見かけてはいましたが、改めて拝見すると実に堂々とした表情で、僕より年下ですが「なんかこの人にはかなわねーな」って思いました。それは人間としての器というかなんというか・・・うまく言えませんが。



講演会の内容について少し触れると、山下くんは事故後18時間後にようやく救出されたものの、挟まれ続けた両足は壊死寸前で普通なら切断するような状況だったそうです。ちなみに今彼は杖を使って自分の足で歩いて生活しています。切断しなったのは当時の担当医の先生が彼の精神力と生命力を見込んでの判断だそうで、山下くんはこの先生のことを心底尊敬している様子でした。

彼の入院生活は10か月に及び、40度超の熱が日常的に出るような状況が数か月続いたそうです。普通なら耐えられないですよね・・・。本当に脱帽です。



さらに驚いたことに彼は退院後、1人暮らししてるんですよ。駅から学校までの行き来が大変だからということも理由にあるようですが、それ以上に自分のことは自分でやりたいという意志を貫いた結果だそうです。それを認めたご両親もすごいですよね。さぞかし心配されたと思います。WSの時に彼のお母さんとは少し話をさせて頂いたんですが、息子さんの意志を尊重されるいいお母さんだなと思っていました。



彼は退院してから、自分で克服すべき目標を明確に設定し、それを少しずつ順番に達成してきたそうです。電車へのトラウマ、上記のような日常生活への復帰、そして次に出てきたのが自分の経験を周りへの貢献にすることだそうです。いま彼が行っている講演会などの活動はその意志が基盤になっているようです。


今回講演会で僕は「生きる」ことについていろんなことを考えながら話を聞いていました。生きる難しさや大事さ、生きる意味についてなどとにかくいろんな思いが駆け巡りました。山下君はあの悲惨な事故によって、いろんなものを失いながらも彼なりにその経験からたくさんのことを得て、今各地でその経験から得たことを人々に伝える活動をしています。彼が言っていましたが、「今は事故を経験して良かった」と思えるようになったそうです。誤解を与えかねない言葉ではありますが、事故の生存者としての使命を見出した結果出た言葉だと思います。僕もまだ長い人生を歩む上で、僕が生きる意味というのを見出せたらと思います。

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