2008/06/03

エゴプロ 第二段!:「君子の交わり、小人の交わり」を読んで

せいじんです。

JIKOMANプロジェクト第2段!
本日から、個人的に自己満=エゴなので
「エゴプロ」と勝手に呼ぶことにします(笑)なかなかいいでしょ?
次回のHRで、この命名のアイデアを提案したいです。

ということでエゴプロ第2段ということで、最近読んだ一冊の本をHRやぜみちょーを意識しながら紹介します。




読んだ本は、「君子の交わり、小人の交わり 日中関係を90度ずらす」(著:養老孟司・王敏 中公新書クラレ)です。
この本を読んだきっかけは、3つ。
①中国の台頭で、日中関係ってどうなるのか、靖国問題って何?という漠然とした疑問を持っていた。
②映画「靖国 YASUKUNI」を観た。
③著者の養老先生が大好き。

とても刺激になる一冊でした。
もともと、日本と中国というものを同じモノサシで論じること自体無理がある。
著者はまず、そう言っていた。そこから、いつもの養老哲学がたんたんと語られていくのだが
結論としては、日中お互いの違いをしっかりと認識し、意図的に90度ずらした関係性を築いて
いかなければ・・・といったニュアンスだったと思う。その中で、やはり「今の中国のままではまずいよ」
というメッセージが織り込まれている。「原理原則から感性へ」というのもその一つだと思う。


ちなみに、日本って、中国が大きくなってくると歴史的にみて鎖国をするそうです。
おもしれー!と思いましたが、じゃーこれからの日本はどうするのか(笑)

さて、なかでも印象的だった靖国問題についての養老節をご紹介して終りにしたいと思います。


「僕は、靖国神社の問題でもそれを言ったのですが、あれはいま消してしまうと、それこそ若い人は戦争自体を忘れてしまうんじゃないのか、と危惧しています。
つまり、靖国は右翼的な連中が行くところと思ってるだけでは考えが甘いのであってね。戦友が祀られていても「おれは、あんなところへは行かない」という人もいる。戦争のひどさも、よさも、あそこに記憶として残っているから、靖国は本当に裏表の記憶になっているのです。その手の象徴性を持ってしまっている。・・・その手の象徴性をうっかり消すと、また面倒なことになります。それは、悪いほうの記憶が同時に消されてしまうことですから。あんなとこへ行くものか、と言ってる人の記憶がね。靖国は象徴としてあるからこそ、あれはダメだよと言っていられるわけです。日本が古いものを置いておくというのは、全部それにまつまっているんです。そうやっておけば、裏も表も残ってしまう。しかし、それをなくすと、日本の場合はきれいに消してしまうんですよね。(王さん:ああ無思想だから。)そう、すっかり水に流してしまって、極端な話、戦争をなかったことにする。それではいけないんで、靖国がいいなんて誰も思っていないけれども、それを嫌だと思う後ろめたさを持つことが大事だというのが、僕の考え方です。ある意味で、嫌なものを残す。だから、神社にしてしまうんですよ。負けたほうを神様にしてしまう。負けたほうにもいろいろ言い分があっただろうって。それを、まあ置いておこうというわけですね。実際の政治は勝ったほうの都合で動いているのだけれども。でもやっぱり、記憶を残しておくことは大事なことですからね。」

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